2014年6月17日火曜日

あべともなり

あべともなり

東京都足立区関原に生れ落ちたこの魂の入れ物はブラジルと日本の血液が流れている(私はその他にも醤油やサラダ油やペペローションなども流れているのではないかと睨んでい­るが)。
私が彼に始めて出会った時の記憶は定かではないが、12年近く前の事になる。
彼は出会った当時から自らの存在の意味を排除する様な圧倒的な『謎』を纏っていた。
その『謎』の正体は彼の言葉の中に隠れているあらゆる衝動や欲望に狂気。勘違いや気違い。知恵の発展途上などの多くのユーモア(=天賦の知性)の捩れが要因と言える(様な­気がする)。
それは例えるならば、子供の頃にどうしても欲しかった玩具を母親に強請る時の全身の震えであり、夏休みの午前中、抑え切れぬ衝動を指先に集中させて信用ならぬ程の形相で挑­んだピンポンダッシュの様でもあり、
6月の雨に濡れ、パッサパサになったエロ本の一ページ目を捲る瞬間のアドレナリンと形容しても遜色はない。つまり、彼の存在と言葉は『汚れなき少年性』を我々に喚起させる特殊な装置を備えているのである(よく分からないけど)。
ここまで彼を説明しようとけっこー頑張ったけど、やっぱ無理だわアハハ。
そもそもこの神獣を説明するのにこの様な文章は意味を成さないという事は音声を聞いて頂ければ一目瞭然だと思う。(Mad Iberico)